FC2ブログ
 

武士の起こりから応仁の乱へ (中世史) ONCC 7期生 高槻教室

班別行動 11月

班別行動 11月
11月26日 3班 城南宮他
訪問先 伏見区
 ①安楽壽院・②三宝大荒神・白河天皇陵・④鳥羽天皇安楽壽院・⑤鳥羽天皇安楽壽院陵・⑥冠石・⑦白河天皇陵・⑧城南宮・⑨鳥羽離宮公園 
 安楽壽院は真言宗智山派の寺院。本尊は阿弥陀如来。 
 京都南に鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営された。
 仏堂を起源とする皇室ゆかりの寺院である
 境内に接して鳥羽天皇と近衛天皇の陵がある。

11城南宮①  11城南宮②
              鳥羽天皇安楽壽院
 鳥羽天皇は譲位後,白河天皇が創建した鳥羽離宮に入り殿舎や仏殿を増築、その際この石の上に冠を置きこれを中心に造営をした。
11城南宮③  11城南宮④
      冠  石       近衛天皇安楽壽院南陵
 城南宮は平安遷都の際、白河天皇が鳥羽離宮を造営して離宮の一部となり鎮守社となった。
 離宮の鎮守社として代々天皇の行幸がしばしばあり平安城の南に鎮まるお宮の意味である。

11城南宮⑤ 11城南宮⑥
 北向山不動尊        白河天皇陵
11城南宮⑦/a> 11城南宮⑧  11城南宮⑨
城南宮楽水苑(秋景色)   城南宮平安の森(春景色)
 流鏑馬・競馬(くらべうま)歌会や雅やかな宴や舟遊びも行われ王朝文化の花が開いた。
11城南宮⑩ 11城南宮⑪
                流鏑馬神事
11城南宮⑫ 11城南宮⑬
                曲水の宴
 鳥羽離宮公園は南殿跡で史跡公園として管理されており、公園一角の「秋の山」は離宮築山の跡である。
11城南宮⑭  11城南宮⑮
             鳥羽離宮跡公園
(担当 3班広報 高橋)

スポンサーサイト



PageTop

班別行動 10月

班別行動 10月
10月1日 1班 義経元服の地 鏡宿

 JR高槻より新快速で約40分、野洲駅に到着、そこよりICOCAも使用できないバスで15分、道の駅竜王かがみの里で下車。
 この地区は遮那王が鞍馬を出奔し、平泉に向かう途中元服した地である。

10鏡①  10鏡②
<源義経宿泊の館跡>
 鏡の宿は旧東山道(中山道)の宿場町として栄えたところである。
 京と平泉を通っている金売吉次とこの地に到着した遮那王は平氏に追われており、姿を変える必要があり、宿泊した白木屋で吉次に頼み元服したといわれている。
宿場本陣の隣に「源義経宿泊の館跡」が残っている。

 10鏡③
<鏡神社>
 白木屋館跡より5分ほど歩いたところに元服を報告した鏡神社がある。
 元服した後、烏帽子掛け松に烏帽子を掛け、遮那王より「源九郎義経」である事を報告し、源氏の再興を祈願した。
 右の絵は道の駅に飾ってある元服の様子

10鏡④ 10鏡⑤
 鏡神社は重要文化財で、御祭神は天日槍であり、この地区は渡来人との関わりがあり、その知識、技術を古くから取り入れた先進地区であった。
10鏡⑥  10鏡⑦
10鏡⑧
<源義経元服池>
 鏡神社から数分のところに源義経元服池がある。
 本来は綺麗な水が湧いていたところであるが、やや濁った状態である。
 遮那王は元服の前日の夜、この池で水を汲み取り、髪を洗い、身体を清め源九郎義経と名のったのでしょう。
 この池が今も語り継がれており、地元の鏡の里保存会が大切に守り抜いている。

10鏡⑨  10鏡⑩
 目的の史跡を見学後悲しい出来事が起こった。
 史跡見学後、すぐ近くにある「道の駅鏡の里」で地元の食材を買い、軽く喉を潤すことを楽しみにしていたが、10月~3月は火曜日が定休日で休業。 
道の駅って定休日有るの❓   (担当 1班広報 杉田)

PageTop

現地探訪ツアー 湊川神社

現地探訪ツアー 
10月19日 楠木正成と湊川神社&UCCコーヒー博物館

雨の中JR神戸駅に10時集合
早速、若井先生から湊川の戦いの説明を受けました。
東上する大軍勢の足利軍に対し、少数の新田・楠木軍が湊川で対抗します。敗戦を覚悟した楠木正成はすでに息子の正行と桜井の駅で別れを告げています。
主戦場となった湊川は明治期に新湊川に付け替えられています。湊川神社と旧湊川、戦場の配置は下図を参照してください
10湊川① 10湊川②
地下道を通り高速神戸駅を地上に出ると湊川神社です。
雨は結構降っています。七五三の幟があります

 10湊川③
          雨の降らない表門で集合写真
10湊川④
表門に入り直ぐ右には楠木正成公の墓があり、「嗚呼忠臣楠子之墓」と名付けた水戸光圀の像もあります。
10湊川⑤ 10湊川⑥ 10湊川⑦
この墓の参道には寄進された石灯篭が多くあります。
光圀編纂の「大日本史」で正成が忠臣と称えられてから、吉田松陰、久坂玄瑞、坂本龍馬等々多くの志士達がここに参り京へ向かったそうです。
明治5年正成を讃える神社創建の際この場所に決まりました

  10湊川⑧ 10湊川⑨
本殿もお参りしました。ここも大河ドラマ採用のPR中です
 10湊川⑩ 10湊川⑪
本殿の斜め裏に正成と弟の正季以下一族の戦没地があります。
神社の周りの塀は菊水の紋の瓦で塀は五本の横線があります

 10湊川⑫ 10湊川⑬
湊川神社から戦場となっていた旧湊川の後の湊川公園まで歩きます。雨も止んだようです
天井川だったようで周りから相当高くなっています
ここには正成の立派な銅像があるのですが、来年3月まで修理中で見れませんでしたので写真を借用しました、

 10湊川⑭ 10湊川⑮
湊川の付け替えでここは開発され、新開地となりました。
班毎に別れ昼食後、ポートライナー三宮で集合し、次の目的地南公園の「UCCコーヒー博物館」に向かいます。
途中のポートターミナルには豪華客船が入港していました。

 10湊川⑯
「UCCコーヒー博物館」では展示室の部屋のテーマが起源、栽培、鑑定、焙煎、抽出、文化と分けて説明されています。
飲み比べコーナーもあり当日はコーヒー豆の粉砕度合いでの味の違いでした。コーヒーに興味のある方は是非どうぞ。

10湊川⑳A 10湊川⑱ 
 10湊川⑲ 10湊川⑳
                    (担当 2班広報 柳生〉

PageTop

校外学習 近江八幡水郷巡り

校外学習②
10月15日 近江八幡 水郷巡り

台風19号も通り過ぎ 少し温度の下がった高槻を9:15発の新快速で出発 50分後近江八幡に到着。
「水郷巡り」琵琶湖観光のバスがお出迎え。

 10近江①

手入れの行き届いた住居 庭木。
碁盤目状の街並みを通り抜けてボート発着場に到着。

 10近江②

葦原の間をゆったり屋形船(私達のはエンジン付き)で行く水郷めぐり
水郷めぐりの歴史は古く織田信長や豊臣秀次も戦乱で疲れた心身をこの舟遊びで癒したと伝えられています。
風にそよぐ葦 柔らかな日差し 時々現れる水鳥・・ 
私たちもすっかり大名気分~~

 10近江③

10近江④  10近江⑤

古い時代の映画でロケに使用される橋が2カ所あります。
そのうちの1カ所には今回はサイクリングを楽しむギャルの迎えが!
 
 10近江⑥

西の湖に入るとまわりが開け、島真珠の養殖が盛んに行なわれています。
 10近江⑦

水郷巡りを満喫した後記念撮影
 10近江⑨

バスで日牟礼神社前に移動。
「たねや」「クラブハリエ」「湖魚の佃煮」の屋台・・ 
楽しいショッピング!

 10近江⑩

八幡堀沿いの石畳道をしばし散策して昼食の郷土料理店「喜兵衛」に到着。
10近江⑪  10近江⑫
 10近江⑬

江戸時代末期の商家で時代劇のロケイション地としてしばしば使われるそうです
 10近江⑭

午後は八幡商人の町並み散策
京都のように碁盤目の通っているこの町は豊臣秀次が信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開いた時に作られました。
特に新町通りには財をなした商人たちの家が並んでいます。
一般公開されていて江戸・明治時代の近江商人の生活の様子を知ることが出来ます。
歴史資料館 郷土資料館 西川家住宅は資料館館長が説明して下さいました。

10近江⑮  10近江⑯

10近江⑰  10近江⑱

広報2人だけ姿を消してウイリアム・ヴォーリズ建築の旧八幡郵便局
ウイリアム・ヴォーリズはキリスト教布教のため近江八幡市に英語教師としてやって来て日本の女性と結婚し建築家としても活躍しました。

 10近江⑲

天候にも恵まれ優雅な1日は終わりました。 世話役の皆さん有難うございました。    (担当 3班広報 奥戸)

PageTop

班別行動 9月

班別行動 9月  
9月17日(1班)
源義経の生誕地といわれている京都北区の紫竹地区を訪ねた。
<常磐御前化粧井>
四条烏丸駅よりバスで約25分、大徳寺前で下車、南へ約5分の所に義経の母常盤が飲み水に使ったといわれる常磐井がある。牛若は鞍馬より時々この地を訪れていたといわれる。

 9紫竹①
その裏に今にも倒れそうな祠がある衣懸塚があるがいわれは不明
9紫竹②   9紫竹③
<光念寺>
常磐井より大徳寺境内を抜け、

9紫竹④
 北へ約1Km行ったところに光念寺がある。
常盤御前が安産祈願したとされる常盤腹帯地蔵が祀られている

9紫竹⑥  9紫竹⑤
<牛若丸産湯井跡・胞衣塚>
 この紫竹の周辺に父源義朝の別宅があったと考えられ、六条堀川院よりこの地に通っていたのではないか。
 牛若はこの地で生れ、牛若丸誕生井の跡と石碑がある。
 その近くに、胞衣(えな)塚があり、牛若誕生時の胎盤、へその緒を埋めたとされいる。

9紫竹⑦  9紫竹⑧
     牛若丸誕生井        胞衣(えな)塚
9紫竹⑨
 この2つは民間の畑の中にあり、綺麗に保存、管理されている。
<源義経産湯井の遺跡>
 更に東に徒歩5分、源義経産湯井跡がある
 牛若丸誕生の地として、この井水が産湯に用いた伝説を石碑に残している

9紫竹⑩  9紫竹⑪
<総神社>
 総神社の由来によると、紫竹地区は古来源氏とゆかりの深い土地であり、総神社のあたりに、源義朝の別邸があったとされている。
常盤御前がこの地で牛若を出産したと伝えられ、古図には「常盤の森」と記入されているとのこと

9紫竹⑬  9紫竹⑫
<常徳寺>
総神社から牛若通りを通って北へ5分常徳寺がある
 牛若を身ごもっていた常盤が常徳寺に安産を祈願して常盤地蔵を安置したと伝えられている

9紫竹⑭  9紫竹⑮
紫竹地区には常盤と牛若に関する史跡が多くあり、牛若誕生の地をしっかり踏みしめた感がある。 担当 1班広報 杉田


9月24日(3班)
鍛冶神社~粟田神社~青蓮院門跡を探訪
午前中の若井先生の講義・食事後12時32分の特急にて四条河原町へ。
円山公園経由、知恩院山門前より、神宮道・三条通りを経て粟田口鍛冶町へ。   

9鍛冶①

最初の目的地、鍛冶神社は粟田神社の末社で境内入口左にあり刃物・鍛冶及び勝運の社であり、刀工三条小鍛治宗近や粟田口藤四郎義光を祀る。
9鍛冶③ 9鍛冶②
「鍛冶神社」は2,3年前から「刀剣女子」なる人が増え若い女性の参詣が増えて、刀剣の聖地として脚光を浴びているそうです。
スサノオノミコト・オオナムチノミコトを主祭神として祀り、厄除け・病除けの神とし崇敬される。
京都東の出入り口の粟田口は古来東山道・東海道の旅人の安全を願い道中の無事を感謝し粟田神社に参られ旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになった。

9鍛冶④
本日最終地の青蓮院門跡は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして、古くより知られ現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられます。
天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたり、山頂に僧侶の住坊を幾つも作ったが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であるといわれる。
平安時代末期青蓮坊十二代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇がご帰依になって
第七王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称門跡寺院として青蓮院が始まり、行玄が第一世の門主となる。

9鍛冶⑦ 9鍛冶⑥

9鍛冶⑧ 9鍛冶⑨
青蓮院築地4本院内に1本計5本有り、最大のものは樹高26・1メートルに達する
十二世紀末、親鸞聖人に植えられたと伝えられ樹勢が旺盛で樹形も優れ円山公園から平安神宮間の中で地域の景観要素となっている大木として貴重なものである

                担当 3班広報 高橋

PageTop