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武士の起こりから応仁の乱へ (中世史) ONCC 7期生 高槻教室

ふれあい交流祭

第6回ONCCふれあい交流祭 
11月27日ONCCのふれあい交流祭が豊中市立文化芸術センターで開催されました。
 11交流

高槻教室からは各班が日頃の成果を発表しました。
準備風景です。
1班 「源義経の伝説と謎」

 11交流①

2班 「応仁の乱と主要人物」
 11交流②

3班 「後鳥羽上皇の残したもの」 
 11交流③

成果の掲示です。
クラス全体です。いろいろなところに出かけました。

  11交流④

各班の掲示です。皆さん頑張りましたね
 11交流⑤

 11交流⑤A

 11交流⑥

近くにいた人のみで記念撮影をしました。お疲れ様でした。
11交流⑦  11交流⑧

1班はお好み焼で恒例の打ち上げです。
11交流⑨  11交流⑩

成果発表会に向けて頑張りましょう。
             (担当 1班広報 杉田)

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班別行動 11月

班別行動 11月
11月19日 3班 城南宮他
訪問先 伏見区
 ①安楽壽院・②三宝大荒神・白河天皇陵・④鳥羽天皇安楽壽院・⑤鳥羽天皇安楽壽院陵・⑥冠石・⑦白河天皇陵・⑧城南宮・⑨鳥羽離宮公園 
 安楽壽院は真言宗智山派の寺院。本尊は阿弥陀如来。 
 京都南に鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営された。
 仏堂を起源とする皇室ゆかりの寺院である
 境内に接して鳥羽天皇と近衛天皇の陵がある。

11城南宮①  11城南宮②
              鳥羽天皇安楽壽院
 鳥羽天皇は譲位後,白河天皇が創建した鳥羽離宮に入り殿舎や仏殿を増築、その際この石の上に冠を置きこれを中心に造営をした。
11城南宮③  11城南宮④
      冠  石       近衛天皇安楽壽院南陵
 城南宮は平安遷都の際、白河天皇が鳥羽離宮を造営して離宮の一部となり鎮守社となった。
 離宮の鎮守社として代々天皇の行幸がしばしばあり平安城の南に鎮まるお宮の意味である。

11城南宮⑤ 11城南宮⑥
 北向山不動尊        白河天皇陵
11城南宮⑦/a> 11城南宮⑧  11城南宮⑨
城南宮楽水苑(秋景色)   城南宮平安の森(春景色)
 流鏑馬・競馬(くらべうま)歌会や雅やかな宴や舟遊びも行われ王朝文化の花が開いた。
11城南宮⑩ 11城南宮⑪
                流鏑馬神事
11城南宮⑫ 11城南宮⑬
                曲水の宴
 鳥羽離宮公園は南殿跡で史跡公園として管理されており、公園一角の「秋の山」は離宮築山の跡である。
11城南宮⑭  11城南宮⑮
             鳥羽離宮跡公園
(担当 3班広報 高橋)

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班別行動 10月

班別行動 10月
10月1日 1班 義経元服の地 鏡宿

 JR高槻より新快速で約40分、野洲駅に到着、そこよりICOCAも使用できないバスで15分、道の駅竜王かがみの里で下車。
 この地区は遮那王が鞍馬を出奔し、平泉に向かう途中元服した地である。

10鏡①  10鏡②
<源義経宿泊の館跡>
 鏡の宿は旧東山道(中山道)の宿場町として栄えたところである。
 京と平泉を通っている金売吉次とこの地に到着した遮那王は平氏に追われており、姿を変える必要があり、宿泊した白木屋で吉次に頼み元服したといわれている。
宿場本陣の隣に「源義経宿泊の館跡」が残っている。

 10鏡③
<鏡神社>
 白木屋館跡より5分ほど歩いたところに元服を報告した鏡神社がある。
 元服した後、烏帽子掛け松に烏帽子を掛け、遮那王より「源九郎義経」である事を報告し、源氏の再興を祈願した。
 右の絵は道の駅に飾ってある元服の様子

10鏡④ 10鏡⑤
 鏡神社は重要文化財で、御祭神は天日槍であり、この地区は渡来人との関わりがあり、その知識、技術を古くから取り入れた先進地区であった。
10鏡⑥  10鏡⑦
10鏡⑧
<源義経元服池>
 鏡神社から数分のところに源義経元服池がある。
 本来は綺麗な水が湧いていたところであるが、やや濁った状態である。
 遮那王は元服の前日の夜、この池で水を汲み取り、髪を洗い、身体を清め源九郎義経と名のったのでしょう。
 この池が今も語り継がれており、地元の鏡の里保存会が大切に守り抜いている。

10鏡⑨  10鏡⑩
 目的の史跡を見学後悲しい出来事が起こった。
 史跡見学後、すぐ近くにある「道の駅鏡の里」で地元の食材を買い、軽く喉を潤すことを楽しみにしていたが、10月~3月は火曜日が定休日で休業。 
道の駅って定休日有るの❓   (担当 1班広報 杉田)

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